大田先生を偲んで

大田先生、ご冥福をお祈りします (小田明範)

 私は昭和59年に大田研究室に配属となり、その後、卒業・修士論文のテーマとして、核融合-核分裂ハイブリッド炉の動特性と制御性等に取り組みました。大田先生は、いつも朝早くこられ、研究室Meetingにおいては、いつも叱咤激励いただき、自分の責任のもとでの自由な研究活動の重要性を説いていただいたことを覚えています。

 研究室でお世話になったのは学部4年から修士2年の3年間ですが、研究活動以外では、定期的に開催された研究室のビール会、中洲のワインバー、毎年1月3日開催の原子炉工学講座の新年会などでいろいろと興味深いお話をお聞きすることも楽しく、懐かしい思い出です。

 修士2年のとき、就職か進学か進路を悩んだ末、博士後期課程に進学しました。ちょうどそのとき、大田先生の御定年も同じ年でした。そのため、私が博士後期課程に進学した昭和62年4月は原子炉工学講座は教授が不在であったため「指導教授」は、長谷川修先生になっていただき、その年の10月に助教授であった工藤和彦先生が教授に昇任され、「指導教授」は工藤先生に変更となりました。

 私は博士後期課程後、研究室の助手に採用され9年間(平成2年4月~平成11年3月)原子炉工学講座(工藤研究室)で、お世話になりました。その後、熊本県の八代高専(平成22年より熊本高専と名称変更)に異動し現在もそこで働いています。高専に異動する少し前には、お正月に御自宅に御相談に伺い、将来についてご教示いただきました。その際は、奥様にも大変お世話になりました。いろいろのご助言をいただいたこと、感謝しております。

 最後になりますが、大田先生には学生時代以来にお世話になりましたことに、深く感謝するとともに、先生の御冥福をお祈りしたします。

(平成31年1月20日)

小田明範

85年九大応用原子核卒、87年修士修了、90年博士単位取得退学、90年同学科助手、99年八代高専講師、00年助教授、08年教授、09年「熊本高専」に名称変更、 専門:放射線教育教材の開発